起業家・創業ストーリー
「いいものを作れば売れる」その思い込みが、私にSpiderを作らせた
専門学校時代、僕は「好きなもの」を売る仕組みを持てずに挫折しました。あの日の悔しさが、今も僕を動かしています。手数料無料のECプラットフォーム「Spider」を、会社員を続けながら一人で作り続ける、本当の理由の話です。
2026/9/27

深夜2時、私はまだパソコンの前に座っている。会社員としての一日を終え、家族が寝静まった後の、誰にも邪魔されない数時間。今日も、Spiderというサービスのコードを書いている。
「なんでそんなことしてるの?」と聞かれることがよくある。会社員を続けながら、しかも無料で使えるECプラットフォームを、たった一人で作り続けている理由を。給料が出るわけでもない。誰かに命令されているわけでもない。それなのに、なぜ私は毎晩この画面に向かっているのか。
その答えを説明するには、専門学校時代のある日の話から始めないといけない。今から書くのは、成功譚でも、綺麗な起業ストーリーでもない。ただの会社員が、深夜に一人でコードを書き続けている理由の、正直な話だ。
きっと世の中には、もっと劇的な理由で起業した人や、もっと華々しい経歴を持つ開発者がたくさんいる。それに比べたら、私の話は地味だし、少し情けない部分もある。それでも、この話を書こうと思ったのは、もしかしたら同じような悔しさを抱えている人が、どこかにいるかもしれないと思ったからだ。そういう人に向けて、少しだけ長い自己紹介を書かせてほしい。
冷静に考えれば、少し奇妙な状況だとも思う。昼間はEC業界の会社員として働き、夜になると、無料で使えるECプラットフォームを一人で開発している。会社での仕事とSpiderは、直接競合するわけではないけれど、どこかねじれた関係にあることは自分でも自覚している。それでも、この矛盾を抱えたまま続けることに、私なりの意味があると思っている。会社で得た経験のすべてが、Spiderという形になって、また誰かの役に立っていく。そう考えれば、両方とも私にとっては地続きの取り組みなのだ。
好きなものを、好きな人に届けたかっただけだった
私はデザインの専門学校に通っていた。グラフィックデザインと3Dモデリングを学ぶ、決して珍しくもない専門学校生の一人だった。授業では画面の中でしか形にならないものばかりを扱っていたけれど、私はどこかで「自分の手で、実際に触れるものを作りたい」という気持ちを持て余していた。パソコンの中で完結するデザインには、どうしても物足りなさを感じていたのだと思う。
クラスには、将来はデザイン事務所に就職したいという人もいれば、いつか自分のブランドを持ちたいという人もいた。夢の方向性はそれぞれ違ったけれど、「いつか自分の手で何かを世に出したい」という熱量だけは、教室のあちこちに漂っていたように思う。私自身、将来何になりたいのかはっきりとは決めていなかったけれど、漠然と「自分の作ったものが誰かの手元に届く瞬間」を味わってみたいという気持ちだけは、ずっと持っていた。
そんな中で出会ったのが、後にシルバーアクセサリーを一緒に作ることになる友人だった。彼とは授業の課題がきっかけで話すようになり、気づけば放課後、学校の帰り道でずっとデザインの話をするような仲になっていた。お互いに「将来は何かを作って生きていきたい」という漠然とした夢を持っていて、話すたびにその夢が少しずつ具体的な形を帯びていった。
ある日、彼が「シルバーで何か作ってみたい」と言い出した。正直、最初はそこまで本気で考えていたわけではなかったと思う。それでも、試しに簡単な道具を揃えて小さなリングを一つ作ってみたら、思っていたよりずっと面白かった。銀という金属は、思ったより素直で、力を込めれば応えてくれる。その感触に、二人ともすぐに夢中になった。
そこから、私らは本格的にシルバーアクセサリー作りにのめり込んでいった。授業の合間にデザインをスケッチし、放課後にはアトリエ代わりの部屋で制作に没頭した。銀の板を叩き、削り、磨き、少しずつ形にしていく時間は、何時間経っても飽きることがなかった。指先が銀の粉で真っ黒になっても、気にならなかった。むしろ、その汚れが誇らしいくらいだった。夜遅くまで作業して、終電を逃しそうになったことも一度や二度ではない。
「これ、絶対誰かに欲しいって思ってもらえるよね」 「うん、売れると思う」
友人と何度も交わした言葉だった。私たちは本気で、自分たちが作ったものが、見知らぬ誰かの手元に届く未来を想像していた。学校の友人たちに見せると、みんな「いいじゃん、それ」と言ってくれた。実際に着けてくれる子もいた。その反応が、私らの自信をさらに膨らませていった。
やがて私らは、自分たちの作品をもっと多くの人に届けるために、ネットショップを立ち上げることにした。当時の私らにとって、それは大きな一歩だった。持っていたデジタルカメラで何度も撮り直した写真、夜遅くまで考えて書いた商品説明、緊張しながら決めた価格。すべてを整えて、公開ボタンを押した瞬間の高揚感は、今でもはっきり覚えている。手が少し震えていたと思う。
「これで、誰かに見てもらえる」
そう思っていた。世界中の誰でもアクセスできる場所に、自分たちの作品を置けたのだから、あとは自然と広がっていくはずだと、根拠のない自信を持っていた。
「いいものを作れば売れる」という思い込み
現実は、そんなに甘くなかった。
ショップを公開してから数週間、管理画面を開くたびに目に入るのは「アクセス数:0」という数字だった。今日こそは誰か見てくれているんじゃないか。そう期待しながら画面を開き、並んだゼロを見てまた肩を落とす。そんな日々が続いた。
友人と二人、何度も話し合った。「もっと写真を綺麗にしよう」「説明文を変えてみよう」「価格が高いのかもしれない」。思いつく限りのことを試した。写真の背景を変え、モデルに着けてもらった写真も撮り直し、値段を何度も見直した。それでも、状況はほとんど変わらなかった。
今振り返れば、当然のことだった。ネットの海に無数にあるショップの中から、私らの店にたどり着く方法なんて、どこにも用意していなかったのだから。SNSでどうやって発信すればいいのかも、検索に引っかかるための仕組みも、広告というものがどういう原理で人を連れてくるのかも、私らは何一つ知らなかった。ただ「いいものを作れば、自然と見つけてもらえる」と信じていただけだった。作ることには全力を注いだのに、届けることには何も準備していなかったのだ。
集客という、見えない高い壁。私らはその壁の存在すら、最初は知らなかった。壁があることにすら気づけないまま、ただ壁の向こう側を見上げて立ち尽くしているような状態だった。同じように個人でものづくりをしている人のショップが賑わっているのを見ては、「何が違うんだろう」と首をかしげることしかできなかった。
半年ほど経った頃だろうか。特に大きな出来事があったわけではない。ただ、二人の間で「もう、いいか」という空気が自然と流れるようになっていた。制作にかけた時間も、材料費も、決して小さくはなかった。それでも、売れる見込みが立たないまま続けることに、二人とも疲れてしまっていたのだと思う。夢を語り合っていた頃の熱量が、少しずつ冷めていくのを、お互いに感じ取っていた。
諦める前に、何もしなかったわけではない。当時流行り始めていたSNSのアカウントを作って写真を投稿してみたり、友人の伝手を頼って知り合いに宣伝してもらったり、貯めていたバイト代を使って、よくわからないままネット広告というものに申し込んでみたこともあった。それでも、何をどう改善すればいいのか、正しい方向すらわからないまま手探りで動いているだけだったので、当然、目に見える成果にはつながらなかった。今思えば、あの頃の私らは地図も持たずに知らない土地を歩いているようなものだった。
在庫として残ったアクセサリーを箱にしまいながら、私らはショップを静かに閉じた。派手な結末は何もなかった。ただ、静かに終わった。
悔しかった。作ったもの自体には、自信があった。友人も私も、本気でものづくりに向き合っていた。それなのに、誰にも届かなかった。その事実だけが、胸の奥に重く残った。でも当時の私には、その悔しさをどう解消すればいいのか、その方法すらわからなかった。「もっと頑張ればよかった」という漠然とした反省しか、当時の私は持てなかった。
悔しさを消すために、EC業界に飛び込んだ
専門学校を卒業した後、私はEC業界に就職することを決めた。
正直に言えば、デザインの道をまっすぐ進むという選択肢もあった。周りにはそちらに進んだ友人も多かった。専門学校で学んだ技術をそのまま活かせる進路を選ぶ方が、傍から見れば自然な流れだったと思う。実際、「なんでEC業界なの?デザインの勉強、無駄になるんじゃない」と言われたこともあった。
それでも私は、あの時の「なぜ売れなかったのか」という問いへの答えを、どうしても知りたかった。マーケティングという、自分に決定的に欠けていたものを、今度こそちゃんと学びたいと思った。デザインの力を諦めたわけではなく、届け方を知らないままではせっかくのデザインも誰にも見てもらえない、という一点に、当時の私はどうしても引っかかっていたのだと思う。
入社してからは、とにかく必死だった。商品ページの作り方、検索対策の考え方、広告の運用方法、SNSでの発信の仕方。専門学校時代の自分には存在すら知らなかった知識を、一つずつ体に叩き込んでいった。最初は専門用語すらわからず、会議で飛び交う言葉をメモしては、後で調べるという毎日だった。「CVR」「CTR」「LTV」——最初はアルファベットの羅列にしか見えなかった言葉が、少しずつ意味を持って自分の頭の中に入ってくる感覚があった。
先輩たちの仕事を見よう見まねで覚え、失敗しては直し、また失敗するという繰り返し。商品ページを一つ作るのに、何時間もかけて文章を練り直したこともあった。夜遅くまで残って、先輩の過去の資料を読み込んだこともある。それでも、あの「アクセス数ゼロ」の画面を思い出すたびに、手を止めるわけにはいかなかった。あの悔しさをもう一度味わいたくない、という気持ちだけが、私を支えていた。
正直、周りの同期と比べて自分が特別優秀だったとは思わない。むしろ、覚えるのが遅い方だったと思う。それでも、専門学校時代の失敗が常に頭の片隅にあったからこそ、他の誰よりも「なぜこれをするのか」という理由を理解しようとしていた気がする。ただ言われた作業をこなすのではなく、「これは、あの時の私らに足りなかった、あの部分に当たるんじゃないか」と、一つ一つの業務をあの日の経験と結びつけながら覚えていった。振り返れば、それが結果的に、知識の吸収を早めてくれたのだと思う。
800万円、そして2000万円
入社から1年後、私はある店舗の運営責任者を任されることになった。
任された以上、結果を出したかった。専門学校時代の自分に見せつけたい、という気持ちもあったかもしれない。来る日も来る日も、商品ページの改善、広告の調整、季節ごとの企画づくりに向き合い続けた。売上のグラフが少しでも上向くと嬉しくて、逆に下がった日は原因をひたすら考え続けた。休みの日にも、ふとした瞬間に商品ページの改善案が頭に浮かぶような状態だった。
その1年間で、私が担当した店舗は楽天市場で800万円の売上を達成した。
もちろん、順調なことばかりではなかった。良かれと思って変更した商品ページが逆に離脱率を上げてしまったこともあるし、勢いで出稿した広告がまったく成果につながらず、上司に頭を下げたこともある。季節商戦に合わせて用意した企画が空振りに終わり、在庫だけが残ってしまったこともあった。それでも、専門学校時代と決定的に違ったのは、失敗しても「なぜ失敗したのか」を振り返り、次に活かせる環境があったことだ。データを見返せば原因の見当がつき、相談できる先輩がいて、次の一手を試すための時間と予算がまだ残っている。失敗が、終わりではなく通過点として扱われる。その違いの大きさに、私は何度も気づかされた。
数字だけを見れば、大きな金額に思えるかもしれない。でも私が本当に嬉しかったのは、金額そのものよりも、「集客の仕組みさえ手に入れれば、いいものはちゃんと売れる」ということを、自分の手で証明できたことだった。専門学校時代の自分にずっと欠けていたピースが、ようやくはまった感覚だった。あの時「なぜ売れないんだろう」と悩んでいた自分に、初めて答えを見せられた気がした。
何より嬉しかったのは、お客様から届く感想を読める瞬間だった。「ずっと探していたものにやっと出会えました」「大切な人へのプレゼントに選びました」。そんな一文を読むたびに、専門学校時代に感じていた「作ったものが誰にも届かない」という悔しさが、少しずつ癒されていくような感覚があった。商品を作った人は違っても、誰かに何かを届けるという行為そのものが、こんなにも人を満たしてくれるのかと、初めて実感した瞬間だった。
それから私は、商品企画、撮影、LP(ランディングページ)制作、さらにはクラウドファンディングのプロジェクト運営まで任されるようになった。一つの商品が生まれてから、お客様の手元に届くまでの、ほぼすべての工程に関わらせてもらえるようになったのだ。
任される仕事の幅が広がるたびに、必要な知識も増えていった。写真の撮り方、人の心を動かす文章の書き方、商品ページの構成をどう設計すれば読み進めてもらえるかという理論、クラウドファンディングにおける資金調達の仕組み。専門学校時代には想像もしていなかった領域まで、私は足を踏み入れていた。撮影のためにライティングの本を読み込んだり、文章の書き方を学ぶために何冊も本を買ったり。専門学校で学んだデザインの感覚が、思わぬところで役に立つこともあった。
そうして積み重ねた成果は、トータルで2000万円を超える売上になった。
今でも覚えているのは、初めてクラウドファンディングのプロジェクトを公開した日のことだ。公開ボタンを押した瞬間の感覚は、専門学校時代にネットショップを公開した時とよく似ていた。それでも、あの時とは違い、私の手元には「見てもらうための仕組み」があった。事前にリストアップしていた発信先に告知を出し、SNSでの見せ方も、公開初日にどれくらいの反応があれば成功に近づくかも、ある程度予測できていた。それでも支援の通知が届くたびに、スマートフォンを何度も確認してしまうくらいには緊張していたのを覚えている。目標を達成した瞬間、画面の前で一人、小さくガッツポーズをした。専門学校時代の自分に見せてあげたい景色だった。
見えてきた、業界の"壁"の正体
数字が積み上がっていく中で、私の中にはある違和感が生まれ始めていた。
私がここまでの結果を出せたのは、本当に「商品が良かったから」だけだろうか。
答えは、はっきりとNOだった。私は会社という環境の中で、マーケティングの知識を学ぶ時間を与えられた。写真や動画の機材を使わせてもらえた。広告費を投じる予算があった。困った時に相談できる先輩がいた。何より、失敗しても給料が保証されている、という安心できる土台があった。
つまり私が専門学校時代に持っていなかったもの——知識、機材、資金、そして時間——を、会社に入ることで初めて手に入れることができたのだ。専門学校時代の私と、店舗運営責任者としての私を分けていたものは、才能でも情熱でもなく、単に「与えられた環境」の差でしかなかった。作っていたものの質が急に上がったわけではない。環境が変わっただけで、結果はここまで変わるのかと、正直、少し怖くなったくらいだった。
その事実に気づいた時、私の頭に浮かんだのは、あの時の自分と、そして今も同じ壁にぶつかっているはずの、たくさんの人たちの顔だった。もし専門学校時代の私が、たまたま今の私と同じ会社に就職していたら。もし全く違う進路を選んでいたら。人生のちょっとした分岐点次第で、結果は大きく変わっていたかもしれない。運や環境という、本人にはどうにもできない要素が、これほどまでに結果を左右してしまう現実に、私はどこか納得がいかなかった。
実際、私の身近にも、素晴らしい商品を作っているのに、ネットでの売り方がわからずに苦しんでいる人がいた。センスも技術も情熱も十分にあるのに、「集客」というたった一つの壁のせいで、その商品が誰にも届かないまま埋もれていく。
ある時、久しぶりに会って近況を聞くと、開いた口が塞がらないほど疲れた顔をしていた。ノートパソコンの画面を見せてもらうと、専門学校時代に私が何度も見た、あの「アクセス数」の少ない管理画面がそこにあった。「頑張って作ったのに、なんで見てもらえないんだろう」というつぶやきを聞いた瞬間、胸の奥がざわついた。目の前にあるのは、まぎれもなく良い商品だった。それでも、届ける手段を持っていないというだけで、その努力が誰にも見つけてもらえずに埋もれていく。それは、専門学校時代の私自身の姿と、あまりにも重なって見えた。
もし自分が今のマーケティングの知識を教えてあげられたら、その人の悩みは少しは解決するかもしれない。実際、いくつかアドバイスをしたこともある。それでも、一人にアドバイスをするだけでは根本的な解決にはならないことにも、同時に気づいていた。同じように苦しんでいる人は、私の身の回りだけでも一人や二人ではなかった。日本中を見渡せば、きっともっとたくさんの人が、同じ壁の前で立ち止まっているはずだった。
もしあの時、私にも今の環境と同じ知識や仕組みが手に入っていたら。そう考えずにはいられなかった。
そしてある時、はっきりと理解した。これは私個人の能力の問題でも、その人個人の努力不足の問題でもなく、業界の構造そのものの問題なのだと。
大きな資本を持つ企業や、たまたま私のようにEC業界で経験を積む機会に恵まれた人だけが、まともに戦える土俵に立てる。個人でものづくりをしている人、小さなお店を営んでいる人、専門学校時代の私のような若者たちは、最初から不利な条件でスタートを切らされている。持っている商品の質では決して負けていないのに、その手前の「仕組み」を持っていないというだけで、勝負にすら参加できない。
さらに、たとえ知識や技術を苦労して身につけたとしても、多くのECモールやプラットフォームには手数料がかかる。売上が伸びれば伸びるほど、手数料という名の"通行料"も膨らんでいく。せっかく努力して掴んだ売上の一部が、当たり前のように引かれていく仕組み。それに加えて、自分の店を持つにはシステム利用料や月額費用がかかることも多く、始める前から一定のお金を用意できる人しかスタートラインに立てない。それもまた、個人や小さな事業者が本当の意味で豊かになることを妨げている壁の一つだと感じるようになった。
技術的なハードルも、決して小さくない。ページを作るにはある程度のコーディング知識が必要だったり、専門の業者に外注すれば数十万円単位の費用がかかったりする。検索エンジンの評価基準は年々変わり続けていて、一度覚えた知識もすぐに古くなっていく。片手間で追い続けるには、あまりにも情報量が多い世界だ。専門学校時代の私らに足りなかったのは、才能でも情熱でもなく、こうした「知る機会」と「試せる環境」だったのだと、今ならはっきり言える。
これを変えたい。日本のEC業界の構造そのものを、変えたい。
そう思うようになったのは、決して一瞬の出来事ではなく、こうした日々の積み重ねの中で、少しずつ確信に変わっていったものだった。
既にある選択肢では、足りなかった
もちろん、私がそう思うより前から、個人でも使えるネットショップの仕組みはいくつも存在していた。無料で始められるとうたっているサービスもあれば、月額数千円で本格的な機能が使えるサービスもある。実際、私自身もいくつか触ってみたし、周りの人に勧めたこともあった。
それでも、使ってみるたびにどこかで引っかかった。無料と書かれていても、売上が伸びれば伸びるほど決済手数料や販売手数料が重くのしかかってくる。本格的に集客をしようとすると、結局は広告運用の知識や、追加のプラン料金が必要になる。デザインを整えようとすれば、有料テーマや外部ツールへの課金が待っている。「気軽に始められる」という入り口の先に、結局はどこかでお金と知識という壁がまた現れる。それが、既存の選択肢に共通する構造だった。
誰か一つのサービスが悪いという話ではない。運営する以上、コストがかかるのは当然のことで、手数料を取ること自体は健全なビジネスの形だと思う。それでも、専門学校時代の私のように、そもそも手元にお金がない人、失敗してもいいからまず試してみたいという人にとっては、その「わずかな壁」こそが、最初の一歩を踏み出せない決定的な理由になり得る。だったら、その壁を可能な限り取り払った場所を、自分で作るしかないんじゃないか。そう思うようになった。
誰かに「じゃあ、そのサービスを作ってよ」と頼まれたわけではない。会社の同僚に話しても、「そんなの個人で作れるものなの?」と半信半疑な反応をされることがほとんどだった。それも当然だと思う。ECプラットフォームを一人で作るなんて、普通に考えれば無謀な話だ。それでも、専門学校時代のあの悔しさを思い出すたびに、「じゃあ、誰がやるんだ」という気持ちが湧いてきた。誰かがやってくれるのを待っているより、自分の手を動かした方が早い。そう腹をくくった。
会社員を続けながら、深夜に一人でコードを書き始めた
とはいえ、いきなり会社を辞めて起業する勇気は、正直なところ私にはなかった。家族もいるし、今の生活を簡単に手放すわけにはいかない。積み上げてきたキャリアを手放すことへの不安も、当然あった。会社での仕事にも、やりがいを感じていた。
だから私は、会社員としての生活を続けながら、夜と週末の時間を使って、自分にできることから始めることにした。
正直、「本当にこのやり方でいいのか」という迷いは、今でも完全には消えていない。世の中には、会社を辞めて全てを賭けて起業する人たちがいる。そういう人たちの覚悟に比べたら、自分は生ぬるいことをしているんじゃないか、と感じる瞬間もあった。それでも、家族との生活を守りながら、着実に一歩ずつ進む道を選んだことを、今は後悔していない。派手さはなくても、続けられる形でなければ、そもそも誰かに届く前に私自身が力尽きてしまう。専門学校時代に一度、道半ばで諦めた経験があるからこそ、今度は「続けられること」を何より大事にしたいと思っている。
最初に作ったのは、EC運営者向けの無料の便利ツール「EC-MUSOU」だった。プログラミングは独学だった。専門学校でも会社でも、コードの書き方を教わったことは一度もなかった。昼間は会社で働き、家に帰って家族と過ごした後、深夜にパソコンに向かう。エラーメッセージの意味がわからず何時間も検索し続けたことも、書いたはずのコードが動かずに原因を探し続けたことも、数え切れないほどあった。画面には赤いエラー文字ばかりが並び、何が間違っているのかすらわからない夜が何日も続いた。
何を使って作ればいいのかすら、最初はわからなかった。調べれば調べるほど新しい専門用語が出てきて、余計に混乱することもあった。それでも一つずつ環境を整え、簡単な画面が初めてブラウザに表示された時の感動は、今でも覚えている。ただの白い画面に文字が一つ表示されただけだったのに、まるで大きな発明をしたかのように嬉しかった。
正直、心が折れそうになったことは一度や二度ではない。「こんなことをして、意味があるのだろうか」「所詮、素人が一人で作ったものなんて、誰も使ってくれないんじゃないか」。そんな声が、自分の中から何度も聞こえてきた。パソコンを閉じて、そのまま辞めてしまおうと思った夜もあった。翌朝、寝不足のまま会社に向かうことも珍しくなかった。
週末の使い方も、少しずつ変わっていった。以前は友人と出かけたり、趣味に時間を使ったりしていた土日を、気づけばほとんどSpiderの開発に充てるようになっていた。カフェにノートパソコンを持ち込んで、コーヒー一杯で何時間も粘ることもあれば、家族が外出している間にひたすらコードを書き続けることもあった。周りからは「休みの日くらい休めば」と言われることもあったけれど、なぜか苦痛には感じなかった。むしろ、その時間だけが、専門学校時代の自分と真正面から向き合える、唯一の時間だったのかもしれない。
それでも続けられたのは、あの専門学校時代の「アクセス数ゼロ」の画面と、身近な人が今まさに同じ壁にぶつかっている姿を、忘れられなかったからだと思う。あの悔しさを、今度は誰かに味わわせたくない。ただその一心だった。
小さな機能を一つリリースするたびに、誰かがそれを使ってくれる。使ってくれた人から「助かりました」という一言をもらう。たった一言だったけれど、その積み重ねが、深夜の孤独な作業を支える、唯一の燃料だった。誰かの管理画面の数字が、私のコードによって少しだけ楽になっている。そう想像するだけで、次の夜もまたパソコンを開く力が湧いてきた。
正直、家族に対しては申し訳なさもずっと抱えていた。休日は家族と過ごす時間に充てるべきだとわかっていながら、気づけばリビングの隅でノートパソコンを開いている自分がいた。「また作ってるの」と苦笑いされたことも一度や二度ではない。それでも、少しずつ形になっていくSpiderを見て、家族も次第に応援してくれるようになった。今では、リリースした機能を家族に一番最初に見せるのが、ちょっとした習慣になっている。
エンジニアとしての経験が全くないまま始めたことも、大きな壁だった。まわりの優秀なエンジニアたちが当たり前のように使っている技術を、私は本を片手に一つずつ覚えていくしかなかった。同じ機能を実装するのに、経験のある人なら数時間で終わることが、私には数日かかることも珍しくなかった。それでも、専門学校時代にデザインを一からコツコツ覚えていった経験が、どこかで自分を支えてくれていたように思う。時間はかかっても、諦めずに手を動かし続ければ、いつか形になる。そのことを、私はシルバーアクセサリー作りを通じてすでに知っていた。
そして、Spiderへ
EC-MUSOUを作り、運営していく中で、私の中である問いが大きくなっていった。
便利なツールを一つ一つ提供するだけでは、根本的な解決にはならないのではないか。ツールはあくまで、すでにお店を持っている人の作業を助けるものでしかない。本当に必要なのは、まだ何も持っていない人が、最初から公平なスタートラインに立てる場所そのものではないか。
そうして生まれたのが、無料でオンラインショップを開設できるECプラットフォーム「Spider」だった。
Spiderで目指しているのは、シンプルなことだ。手数料や高額な初期費用という参入障壁をできる限り取り払い、個人でものづくりをしている人、小さなお店を営んでいる人、そして専門学校時代の私のような若者たちが、私が会社に入って初めて手に入れた「集客の仕組み」を、最初から使える場所を作ること。ページを作る力も、写真の撮り方も、広告の知識も、今はまだ持っていなくていい。Spiderの中に、その手がかりを一つずつ用意していきたいと思っている。
具体的には、無料で自分のオンラインストアを開設でき、専門知識がなくてもドラッグ&ドロップでページを組み立てられる仕組みを用意した。写真の撮り方や広告の始め方に迷わないよう、使い方をひとつずつ解説するヘルプページも作った。店舗同士が商品を紹介し合いながら販売手数料を分け合える仕組みも用意して、私らのように「一人だけでは広がらない」という壁を、店舗同士の助け合いで少しでも越えられるようにしたいと考えている。
デザインの専門知識も、マーケティングの経験も、大きな資金も必要ない。ただ「これを届けたい」という気持ちさえあれば、誰でも自分の店を持てる。そんな場所を、私は作りたかった。
もちろん、まだSpiderは完成された存在ではない。会社員を続けながら、限られた時間の中で機能を一つずつ追加している段階だ。今日書いたコードが、明日には誰かの小さな店の土台になっているかもしれない。そう考えると、深夜の作業も、どこか楽しみに変わっていく瞬間がある。それでも、あの日の自分に「こういう場所があれば良かったのに」と思ってもらえるものに、少しずつ近づいている実感がある。
「無料で、この先もずっと続けられるのか」と聞かれることもある。正直、まだ明確な答えを持っているわけではない。それでも、少なくとも今の私にとって、Spiderは事業計画から逆算して作ったものではなく、あの日の悔しさから逆算して作っているものだ。だからこそ、目先の収益を最優先にして、使う人に負担を強いるような設計だけはしたくないと思っている。続け方については、これから使ってくれる人たちと一緒に、時間をかけて見つけていきたい。
この先、目指したい景色
Spiderを作りながら、私がぼんやりと思い描いている景色がある。
それは、専門学校時代の私らのような、まだ何者でもない人たちが、当たり前のように自分の店を持ち、当たり前のように自分の作ったものを届けている景色だ。今は「起業」や「開業」という言葉に、どこか特別な響きがある。まとまった資金があって、専門知識があって、覚悟を決めた人だけがたどり着ける場所、というイメージが強いように思う。
でも本当は、もっと軽やかなものであってもいいはずだ。授業の合間に、放課後に、週末の空いた時間に。好きなものを作って、それを誰かに届けてみる。うまくいかなければ、また作り直せばいい。専門学校時代の私らにとって、ネットショップを閉じることは一つの区切りだったけれど、本当はもっと気軽に、何度でもやり直せる場所であってほしかった。
Spiderが目指しているのは、そうした「やり直しが利く場所」でもある。一度うまくいかなかったからといって、その人の商品や情熱が否定されたわけではない。ただ、届け方が合っていなかっただけかもしれない。そのことに、一人でも多くの人が気づける場所でありたいと思っている。
日本のEC業界の構造を変える、というと大げさに聞こえるかもしれない。それでも、こうして一人一人が気軽に挑戦できる場所が当たり前になっていけば、業界の景色は少しずつ変わっていくはずだと、私は本気で信じている。
これは、完全に私のエゴです
ここまで、日本のEC業界の構造を変えたい、というようなことを書いてきた。それは嘘ではない。本気でそう思っている。
でも、正直に打ち明けると、Spiderを作っている本当の理由は、そんな立派な使命感だけではない。
私は今でも、あの専門学校時代に感じた悔しさを、完全には消化できていない。好きなものを、好きな人に届ける仕組みを持てずに諦めてしまった、あの日の自分。もしSpiderのような場所があの時にあったら、私らのシルバーアクセサリーは、誰かの手元に届いていたかもしれない。あの時の自分に、今のSpiderを見せてあげたい。そんな衝動が、今も私の中にずっとある。
一緒にシルバーアクセサリーを作っていた友人とは、今も時々連絡を取り合っている。お互い別々の道に進んだけれど、たまに当時の話になると、二人とも決まって少し照れくさそうな顔をする。「あの時Spiderがあったらな」と冗談交じりに言われたことがあるけれど、それを聞くたびに、胸の奥が少しだけ熱くなる。
だから私は、あの頃の自分に向けて、今もSpiderを作り続けているのだと思う。これは業界のためという以上に、私自身のための、答え合わせなのかもしれない。
完全に、私のエゴだ。
でも、エゴだからこそ、私は深夜のコードを書く手を止めずにいられるのだと思う。誰かに頼まれたわけでも、会社の業務命令でもない。自分自身の中にある、消えない悔しさが原動力になっているからこそ、どれだけ疲れていても、もう一歩だけ前に進むことができる。使命感だけだったら、きっと私はとっくに心が折れていたと思う。個人的な悔しさというエンジンは、案外、どんな立派な理念よりも長く燃え続けてくれるものなのかもしれない。
こんなことを公にするのは、正直少し恥ずかしい。「業界を変えたい」というような大きな言葉の裏に、こんなに個人的で、ちっぽけな感情が隠れていたのかと、がっかりされるかもしれないとも思う。それでも、綺麗な理念だけを語って、本当の動機を隠したまま続けることの方が、私にはよっぽど不誠実に思えた。だから、こうして正直に書くことにした。
あの日の自分に、渡したかった場所
もし今、あなたが「いいものを作っているのに、なぜか売れない」と感じているなら。あるいは、「これから何かを始めたいけれど、何から手をつければいいかわからない」と思っているなら。
その気持ちを、私はよく知っている。何年経っても、あの管理画面に並んだゼロの記憶は、私の中から消えていない。
Spiderが、すべての答えになるとは思っていない。それでも、専門学校時代の私が欲しかった「最初の一歩を踏み出せる場所」には、少しでも近づけているはずだと信じている。まだ機能は足りないところだらけだし、一人で開発している以上、スピードにも限界がある。それでも、一つの機能を追加するたびに、あの日私らが持てなかった選択肢が、また一つ誰かの手に届くようになる。そう思うと、地道な積み重ねにも意味があると思える。
今夜もまた、家族が寝静まった後にパソコンを開くのだと思う。深夜2時、画面の光だけが部屋を照らす、あの時間に。エラーと格闘する夜も、思うように進まない夜も、きっとこれからも続く。それでも、あの「アクセス数ゼロ」の画面を見ていた頃の自分を思い出すたびに、私はまた次の一行のコードを書く気力を取り戻す。
会社員を続けながら、これからも一つずつ、Spiderを育てていく。それは日本のEC業界の構造を変えるためであり、同時に、あの日ネットショップを閉じた自分自身への、私なりの答え合わせでもある。
もしよければ、一度Spiderを覗いてみてほしい。あなたの「好きなもの」を届ける場所として、使ってもらえたら、これほど嬉しいことはない。
長々と自分語りに付き合ってくれて、ありがとう。ここまで読んでくれたあなたにも、きっと何か「届けたいもの」があるんじゃないかと、勝手に想像している。その一歩を踏み出す時、Spiderがその場所の一つになれたら、それに勝る喜びはない。







